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大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)5587号 判決 1985年3月15日

原告 山口孝一こと 金栄吉

右訴訟代理人弁護士 蒲田豊彦

被告 土屋重富

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 今口裕行

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告らは各自、原告に対し、金一、七九二万八、九〇五円およびこれに対する昭和五七年七月二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和五七年七月一日午前三時一五分頃

2  場所 岡山県備前市西片上、片上トンネル東約一〇〇メートル国道二号線路上

3  加害車 普通貨物自動車(名古屋一一そ八八五一号)

右運転者 被告太田広達(以下被告太田という)

4  被害者 原告

5  態様 原告が被害車(大型貨物自動車泉一一か六四七二号)を運転して南進中、前車に引き続いて停車中に後続車である加害車が被害車に追突

二  責任原因

1  運行供用者責任(自賠法三条)

被告土屋重富(以下被告土屋という)は、加害車を業務用に使用し、自己のために運行の用に供していた。

2  使用者責任(民法七一五条一項)

被告土屋は、被告太田を雇用し、同人が被告土屋の業務の執行として加害車を運転中、後記過失により本件事故を発生させた。

3  一般不法行為責任(民法七〇九条)

被告太田は加害車を運転して本件道路を進行中、前方不注意の過失により本件事故を発生させた。

三  損害

1  受傷、治療経過等

(一) 受傷

むちうち症

(二) 治療経過

入院

昭和五七年七月七日から昭和五七年一〇月二日まであびこ病院(八八日間)

通院

昭和五七年七月一日戸根医院

昭和五七年七月二日アエバ外科病院

昭和五七年七月三日早石病院

昭和五七年一〇月三日から昭和五九年三月一二日まであびこ病院及び大阪赤十字病院

(三) 後遺症

原告は、本件事故による傷害のため、局部に頑固な神経症状を残し、両耳に聴力障害、両眼に視力障害を残して昭和五九年三月一二日ごろ症状固定した。

2  治療関係費

(一) 入院雑費   八万八、〇〇〇円

入院中一日一、〇〇〇円の割合による八八日分

(二) 入院付添費 三〇万八、〇〇〇円

入院中家族が付添い、一日三、五〇〇円の割合による八八日分

3  逸失利益

(一) 休業損害

原告は、事故当時山利運送(株)に勤務し、一か月平均二五万四、〇〇〇円の収入及び年間償与七五万円を得ていたが、本件事故により、昭和五七年七月一日から昭和五九年二月一八日まで休業を余儀なくされ、その間六一七万一、七五〇円の収入を失った。

(二) 将来の逸失利益

原告は、前記後遺障害のため、その労働能力を三五%喪失したものであるところ、原告の就労可能年数の範囲内である一〇年間は右労働能力を喪失したものと考えられるから、原告の将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、一、〇五六万一、一五五円となる。

4  慰藉料        六七〇万円

内訳

入・通院慰藉料     二五〇万円

後遺障害慰藉料     四二〇万円

5  弁護士費用      一六二万円

四  損害の填補

原告は次のとおり支払を受けた。

1  自賠責保険金     五二二万円

2  被告らから      二三〇万円

五  本訴請求

よって、請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は民法所定の年五分の割合による。)を求める。

第三請求原因に対する認否

三の事実中、1(三)の事実は否認し、その余の事実は不知。

四は認める。

第四抗弁

原告と被告両名は、昭和五七年九月八日、被告らは原告に対し、本件交通事故に基づく損害賠償として、昭和五七年九月末日までの治療費及び金二三〇万円の支払義務あることを認め、右金二三〇万円については既払額五〇万円を控除した残金一八〇万円を支払う。後日、後遺障害が生じた場合には原告において被告土屋加入の自賠責保険を適用して請求し、被告らに請求しない。とする示談が成立した。

第五抗弁に対する認否

抗弁事実は認める。

第六再抗弁

一  公序良俗違反(民法九〇条)

原告は、本件事故による傷害のため入院中に、しかも、生活費、入院費用の支払に窮するという経済的逼迫下で被告らの示談代行者共栄火災海上保険相互会社社員との間で少額の示談をしたものであって本件示談は公序良俗に反し無効である。

二  錯誤(民法九五条)

原告は、本件示談成立後も昭和五七年一〇月二日まで入院治療を続け、その後も、大阪赤十字病院整形外科、同眼科に通院し、自賠責後遺障害九級の認定を受けるほどの後遺障害が残ったのに、本件示談当時、右の如き長期の入・通院を必要とするものとは考えず、また、後遺障害についても、せいぜい神経症状のみが残るものと考えていたために示談に応じたのであって、本件示談は、原告において、重要な部分につき錯誤があった。

第七再抗弁に対する認否

再抗弁事実は否認する。

第八証拠《省略》

理由

第一本件事故の発生

請求原因一の事実は、被告らにおいて明らかに争わないから、自白したものとみなす。

第二責任原因

一  運行供用者責任

請求原因二の1の事実は、被告土屋において明らかに争わないから自白したものとみなす。そうすると、被告土屋は、民法七一五条一項につき判断するまでもなく、自賠法三条により、本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

二  一般不法行為責任

請求原因二の3の事実は、被告太田において明らかに争わないから自白したものとみなす。そうすると、被告太田は、民法七〇九条により、本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

第三示談の成立

一  抗弁事実は当事者間に争いがない。右事実によれば、原告と被告両名は、昭和五七年九月八日、被告らは原告に対し本件事故に基づく損害賠償として、昭和五七年九月末日までの治療費及び金二三〇万円の支払義務あることを認め、右金二三〇万円については既払額五〇万円を控除した残金一八〇万円を支払う。後日、後遺障害が生じた場合には原告において被告土屋加入の自賠責任保険を適用して請求し、被告らに請求しない。という内容の示談が成立したことが認められる。

二  《証拠省略》によれば、被告らは本件示談に基づき、医療法人早石会早石病院、アエバ外科病院、戸根病院、あびこ病院に対し各治療費を直接支払い、原告に対し、本件示談成立時に残額一八〇万円を支払ったことが認められる。

第四示談の効力

原告は、本件示談は、公序良俗に反し、また、原告において錯誤があったから無効である旨主張するので検討する。

一  《証拠省略》によれば

(一)  被告太田は、加害車である普通貨物自動車(長さ七・九五メートル、幅二・二五メートル、高さ三・一八メートル、当時の積載品冷凍菓子三、〇〇〇キログラム)を運転して、東から西へ向け本件道路を時速約五〇キロメートルの速度で直進中、カセットテープ操作のため脇見運転をし、約一一・五メートル前方にはじめて原告運転の被害車である大型貨物自動車(長さ一一・〇二メートル、幅二・四九メートル、高さ二・八〇メートル、当時の積載アルミ一〇屯)が停止しているのを発見し、急制動の措置を採るも間に合わず、被害車後部に加害車前部を衝突させ、その衝撃で加害車は約六・七メートル前方へ移動して停止し、被害車は約五・三メートル前方へ移動して停止したが、その際、加害車キャビンが大破して被害車後部に食い込んだことから、原告は被害車を二回にわたって約五・八メートル移動させたが、本件事故により被害車は右後部テールランプ破損、シャーシー後部破損などの損傷を受け、右修理のため合計一七万四、九〇〇円(部品代五万〇、四〇〇円、工賃一二万四、五〇〇円)の修理費を要した。

(二)  原告は、本件事故により、事故当日の昭和五七年七月一日、頸部痛、後頭、背部に重感、悪心その他を訴えて戸根病院で受診したが、上肢神経症状もなく、乳突筋圧痛もなく、X線検査その他の処置を受け、療養指導を受けて後に転医し、同月二日、アエバ外科病院へ一日のみ通院して転医、翌三日には早石会早石病院で受診したが、同病院でもX線検査の結果、骨に異常がなかったことから、薬物投与による通院治療を指示されたのに、当日のみで転医し、同月七日にあびこ病院で受診、後頭部痛、項部痛、上肢シビレ感、嘔気、眩暈を訴え、入院することとなったが、X線検査の結果は骨系に異常なく、神経学的他覚所見もなく、眼底検査、脳波検査においても外傷に基因した異常所見は認められず、局所安静、理学療法、薬物療法で加療に当ったが、同病院医師は原告の症状を入院一週間と診断した。ところが、同病院での入院中、原告は、しばしば外出、外泊し、また、同月二六日ごろには、原告は個室を希望し、深夜に突然大声を出すなど精神不穏状態がみられ、同病院医師作成の同月二七日付診断書によるも向後一か月の入院加療による経過観察の必要はあっても、向後二か月以上の延期はないものと思われるとのことであり、同年八月一〇日の同病院医師の診断によれば、頸椎捻挫では入院加療は不要と判断していた。原告は翌一一日には病院内で飲酒し、大声をはり上げるなどのさわぎを起こすなどしたため、原告の入院目的につき、同病院では専ら精神安定のため、すなわち、原告の情緒不安定を沈静化させることにおいていた。なお、同病院入院中に、同年七月二六日、後頭部より左眼につき突ける様な電撃様疼痛を瞬時認められたことはあるものの、同月三一日には右疼痛の発現頻度は、かなり減じていた。

(三)  原告は、あびこ病院入院中に外泊し、喫茶店へコーヒーを飲みに行った際、同店のマスターの紹介を受けて、徳山龍男という示談屋に被告らとの示談交渉を依頼し、原告より依頼を受けた右徳山は、被告ら加入の任意保険会社共栄火災海上保険相互会社アジャスター歳實真教と交渉し、示談の日を同年九月八日と定め、同日午後一時三〇分ごろ、右共栄火災海上保険相互会社事務所一〇階の一室(机が一台、椅子四脚備え付け)に、右共栄火災海上保険相互会社社員紺谷益三と、右徳山及びパジャマ姿の原告の三名で話し合い、任意査定額は、治療費は同年九月末日までの実費を全額負担、看護料一八万円、諸雑費五万二、八〇〇円、文書料四、〇〇〇円、休業損害一五二万四、七八〇円、慰藉料六六万五、二〇〇円の、治療費を除く総合計二四二万六、七八〇円であったが、右紺谷は、休業損害一五二万四、七八〇円、慰藉料六八万二、〇〇〇円、入院雑費三万六、〇〇〇円とし、看護料は認めないものと判断して合計二二四万二、七八〇円を切り上げた二三〇万円を入・通院中の損害総額として呈示し、右費目内容を書面にして右徳山及び原告に示したところ、後遺障害分を除く本件事故による損害としては原告らも右金額を了承した。続いて、原告から本件事故による後遺障害分の損害につき填補がなされるか否かの質問があり、右紺谷は、後日、後遺障害が残ったときは、原告において被告土屋加入の自賠責保険会社に被害者請求してほしい旨説明したところ、右徳山はこれを了承し、右徳山が原告に説明、右説明を聞いた原告は、後遺障害補償をしてくれるのであればということで示談書を作成したが、右示談交渉又び右共栄火災海上保険相互会社振出の小切手(額面一八〇万円)が右紺谷より原告らに手渡されるまでに約一時間を要した。

(四)  原告は、昭和五七年一〇月二日にあびこ病院退院後、一度は八尾市民病院へ行ったものの、その余は病院への通院はなく、勤務先の運転手仲間で交通事故体験被害者に現症状を話したところ、後遺障害請求手続を示唆され、原告の妻の友人の知人である相和保険事務所所長中村福男に相談し、右中村の指示もあって昭和五八年一一月二八日と昭和五九年二月一三日の二日大阪赤十字病院整形外科で受診、昭和五九年二月一四日から同月二五日までのうち四日間は同病院眼科で受診、昭和五九年二月一六日から同年三月一二日までのうち三日間は同病院耳鼻咽喉科で受診、そのころ、それぞれ後遺障害診断書を作成してもらって、昭和五九年三月一三日に被告土屋加入の自賠責保険会社に対し後遺障害分の補償請求をしたところ、自賠責難波調査事務所では、顧問医の意見、すなわち、X線上著変なし、他覚的にとるべきもの乏しいが経過等より神経症状を認め(等級一二級)、眼科的には、眼球に異常なく、複視もなく、視力障害の原因が不明として因果関係を認めなかったが、受傷後に耳鳴が発来したとの原告の訴えのみで本件事故と関連ありとした(聴力障害として等級一〇級四号)意見を参考に、併合第九級に該当する後遺障害が残存したとして、五二二万円が原告に交付された。

(五)  大阪赤十字病院耳鼻咽喉科医師作成の後遺障害診断書によれば、傷病名は、両感音性難聴、両耳鳴症であって、主訴は難聴、耳鳴、オージオメーター検査結果は、両耳鼓膜内陥、濁、左耳鳴持続、右耳鳴時々となっているものの、原告は、現在においても、耳の症状ではなく目の障害を強く訴えている。

(六)  原告は、昭和五七年五月二一日より山利運送(株)に運転手として勤務し、同年五月は基本給四万円のみ、同年六月は基本給一〇万円、付加給一五万四、一四〇円から社会保険料、所得税等差引後の支給額(手取り)二二万五、〇〇〇円、同年七月は基本給五万円のみ、同年八月及び九月は社会保険料のみが差引かれ、同年一〇月は手取りで一三万九、三四〇円、同年一〇月より昭和五八年六月までは毎月二〇万円位の手取り、同年七月は手取り一三万円程、同年八月は手取り二二万円弱を得ており、原告の妻と共働きの六人家族であった。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

二  右事実によれば、(一)、本件事故は、被告太田の脇見運転による前方不注視の過失により発生したものであって、普通貨物自動車である加害車のキャビンが大破し、被害車は加害車に押されて約五・三メートル前方へ移動して停止するという衝撃があったことが認められるものの、原告運転の被害車は大型貨物自動車であって、被害車後部の破損状況をみると、右後部テールランプ破損、シャーシー後部などを破損したのみで積載物も存したことから、衝撃の程度はさほど大きくはなかったこと、(二)、原告は、本件事故により頸部捻挫の傷害を負ったものの、その程度は主訴を中心とする自覚症状が主症状であって、他覚所見に乏しく、他の同一症例に比較して特に重い症状ともいえないこと、(三)、本件示談当時、原告はあびこ病院に入院中ではあったものの、事故後転医を繰返し、同病院入院中も外出、外泊が多く、同病院医師も入院当初、入院一週間の加療を要するものと判断し、昭和五七年八月一〇日に至っては、頸椎捻挫での入院加療は不要であるとまで断言しており、原告の同病院入院中の態度も、飲酒のうえ大声をはり上げるなど決してほめられたものでもなく、入院目的は専ら精神安定のためであったこと、(四)、示談の経緯をみると、原告は交通事故の示談に精通していると推認される示談屋徳山に被告らとの示談交渉を依頼し、本件示談は、右徳山のみならず原告も同席し、被告ら加入の共栄火災海上保険相互会社事務所へ出向いたうえ、右徳山において右共栄火災社員紺谷の提示した費目別損害額を検討し、これを了承したうえ本件示談がなされていること、(五)、原告は、本件示談当時、目及び耳についての異常を訴えず、あびこ病院入院中の昭和五七年七月二六日に後頭部より左眼への電撃様疼痛が瞬時認められたことはあるものの、同月三一日には右疼痛の発現頻度もかなり減じており、同病院の検査結果によるも眼底には外傷に基因した異常は認められなかったこと、(六)、あびこ病院退院後、大阪赤十字病院への通院まで一年一か月あまりは、全く治療を受けておらず、大阪赤十字病院への通院も、相和保険事務所所長中村の指示に基づき、自賠責保険会社へ後遺障害分の補償を請求するために必要な後遺症診断書を得べく通院していたにすぎないこと、(七)、原告の後遺障害補償請求を審理した自賠責難波調査事務所では、顧問医の意見を容れ、併合九級と認定したのであるが、顧問医の意見をみると、神経症状につき、他覚的にとるべきものに乏しく、本来、等級一四級一〇号程度ではあるものの、治療経過、就中、入院治療を行なったことなどを考慮して等級一二級一二号と判断したものと推認され、また、眼科的な原告の訴えは、本件事故と因果関係がないものとしたが、難聴との因果関係を認め、聴力障害として等級一〇級四号と判断し、併合等級九級としているのであるが、治療経緯をみると、(イ)神経症状につき、特に原告の頸部捻挫による入院治療まで必要とした理由が原告の精神安定のためであったというのであって、そうすると、原告の後遺障害である神経症状を等級一二級一二号と認定したことに疑問があり、むしろ、等級一四級一〇号程度と判断すべきものであり、また、(ロ)難聴につき、後遺障害診断書作成のため大阪赤十字病院耳鼻咽喉科に昭和五九年二月一六日から同年三月一二日までの三日間通院したのみで、本件事故後右通院時まで、全く治療がなされていないうえ、少なくともあびこ病院までの入・通院中の三か月間は、耳の症状につき全く訴えがなかったのに、本件事故との因果関係を認めているのであって、本件につき自賠責難波調査事務所の査定結果に必ずしも信用性がないこと、(八)、本件示談内容をみると、原告が本件事故により治療を受けた期間は事故時である昭和五七年七月一日から同年一〇月三日までであって、右期間中の休業損害、慰藉料などの損害費目及びその総額は、あながち少額で不当な額であるともいえず、後遺障害分については被告土屋加入の自賠責保険会社に被害者請求し、それによりその補償を受ける旨明記されていること、(九)原告の示談当時における経済状態をみても、本件事故前の状態でも家族六人の主柱として妻の内助を得ながら生活し、原告稼働中も生活状態が楽でなかったことが推認されるけれども、本件事故のため生活費に窮し、早期示談に応じなければならなかったものとまではいえないことが認められる。

三  右事実をもとに、原告の主張を判断するに、本件示談当時、原告の後遺障害につき、神経症状については予見しえたものの、難聴については原告の訴えすらなかったのに、自賠責調査事務所では難聴についても本件事故による後遺障害と認定しており、従って、右事実のみでは後遺障害の内容及びその程度について、原告に要素の錯誤があった外観を呈している。しかしながら、右にみた如く、難聴につき、その事実を認め、本件事故との間に因果関係を認めた自賠責調査事務所の査定には、本件事故後の原告の主訴、通院状況、治療経緯から判断して疑問があり、とうてい信用することのできない査定結果となっており、眼科的には本件事故との因果関係を否定していることを総合考慮すれば、後遺障害補償については被告土屋加入の自賠責保険会社に被害者請求し、右填補により満足するものとした本件示談条項に錯誤があったものとはいえない。

また、一般に、交通事故示談の効力が公序良俗に違反して無効であるとするためには、被害者側の無知または窮迫に乗じ、全損害を把握し難い状況下で、過当の利益の獲得を目的として、早急に、少額の賠償金で満足する内容の示談をしたことを要するものと解すべきところ、右事実によれば、(一)、原告は交通事故示談に関する自己の無知を補うべく示談屋徳山に相手方との示談交渉を依頼し、右徳山の働きかけにより本件示談交渉がなされ、示談交渉の際も、原告のみならず右徳山も同席していたこと、(二)、加害車の本件事故による損失は大きかったものの被害車にはその車種、積載荷物及びその量から、さほど大きな衝撃はなかったという本件事故状況下で、原告の症状も原告の自覚症状が主たる症状であって他覚所見にみるべきものがなく、従って、原告の入・通院における損害としては、本件事故発生日である昭和五七年七月一日から同年一〇月三日までの損害というべきであるから、本件示談成立時、原告の入・通院中の全損害を把握し難い状況下であったものとはいえず、また、右損害填補額としては、被告らにおいて、昭和五七年九月末日までの治療費全額及び金二三〇万円の金員の支払を認めた金員総額はあながち不当なものとはいえないこと、(三)、本件示談は原告の入院中になされたものではあるものの、原告に入院治療を必要とした理由は、専ら原告の情緒不安定を解消するためであったというのであり、医師の診断によるも、入院当初は、入院治療の必要見込期間を一週間とし、昭和五七年八月一〇日当時においては、頸椎捻挫での入院は不要とまで断言しており、従って、昭和五七年九月八日になされた本件示談当時においては、原告に入院の必要性は全くなかったという治療状況であったこと、(四)、原告の後遺障害について、現在における目の症状は本件事故とは全く関係がなく、難聴についても本件事故との因果関係に乏しいのであって、せいぜい等級一四級一〇号に該当する神経症状と目される原告の後遺障害としては、被告土屋加入の自賠責保険会社に対し被告者請求し、右交付金をもって満足する旨の後遺障害補償措置を講じた示談内容となっており、しかも、原告も右被害者請求により後遺障害補償として金五二二万円をすでに受領していることの認められる本件では、本件示談が公序良俗に反し無効であるとはいえない。

第五結論

右によれば、原告の本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないから棄却を免れず、訴訟費用につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 坂井良和)

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